死と向き合う方法「死は怖くない!」

死と向き合う事について

死について考えた事は誰でも1回は経験があると思います。
私が癌4回の経験で幾度となく考えさせられた事をもとに「死」と向き合う事について伝えたいと思います。
病気で死を意識されはじめ方、なんとなく怖がっているかたに少しでも力になれればと思います。
〜死と向き合う方法〜
1、死は経験したことのある事だと認識する
2、執着・未練を無くす
3、終わりがある事に感謝する
4、今日を最高の日にする

 

これは本文で順を追って詳しく説明していきます。

<目次>

・死が怖い理由
・死と向き合う方法
・死について考える時

【死が怖い理由】

子供のころ「死」について考えたときに、なんだかわからないけどすごく怖くなった事はありませんか?
私は今でもそうなる時があります。
なぜ「死」が怖いのか。

①誰も経験したことがないから

経験しても、それを後世に伝える事ができないからです。
誰も死んだ後の世界は知らない。
宗教で死後の世界について語られることがあるけど、証拠はありません。
天国や地獄というのがあるかもしれませんが、誰もわかりません。

②自分の意識はどうなるのかわからないから

死んだ後に、自分自身の精神はどうなるのかが分からないから怖くなります。
精神=意識という事ですね。
自分の感情・意識はどこに行くのか分からないのは怖いですね。

③やりたい事、見たい世界が見れなくなるから

夢や目標にあふれている人は特にそう思うと思います。
子供の成長をみたい。
30年後、50年後の世界がどうなっているのかを見たい。
会社や自分の成長する姿がイメージできていればいるほど、死んでしまったら
その夢はかなわないという事がより際立って感じる事になります。

<死が怖くない人>

死が怖くない人も世の中にいます。
極論を言うと「死にたいと思っている人」、「死んでもいいと思っている人」です。
①病気で苦しんでいてそれが不治の病であったりする人。
そのような場合には生きている事のほうがつらいです
治る見込みがなく、体も不自由で思い通りに動けない状況では生きている事に価値を感じれなくなる人もいると思います。
悪くなるしかないであれば安楽死を望む人もいるかもしれません。
私自身も、もしそのような状況になったら安楽死を望むかもしれません。
②自分のやりたい事もやりつくしている人。
90才~100才の長寿のかたは死んでもいいと思っている方が多いようです。
子供や孫も自立しているなどして、この世に未練がない場合には「死」が怖くないと思います。

【死と向き合う方法】

1、死は経験したことのある事だと認識する
2、執着・未練を無くす
3、終わりがある事に感謝する
4、今日を最高の日にする

 

1、死は経験したことのある事を認識する

死は皆さん経験しています。
言い方を変えると、死と同じような感覚は毎日経験しています。
それは「寝ている時」です。
寝ている時の意識がある人はいますか?
夢をみている時に意識がある人はいるかもしれませんが、夢を見ていないときはどうでしょうか?
意識がある人はいないはずです。
寝ている時は脳と体がやすんでいる状態です。
死はその肉体が機能していない状態で、寝ているようなものだと思ばいいのです。
悲しい言い方かもしれませんが、「無」です。
毎日その無の状態を経験しているのですから、怖さは薄れるのではないでしょうか?

2、執着・未練を無くす

死を恐れない人は未練がありません。
人生をやり切った人です。しかし、そんな人は多くはいません。
人間は良くも悪くも「欲望」によって生きています。
あれをしたい、これをしたい。そうゆう欲望が生きる力を強くします。
ここでいう「執着・未練」とは欲望に囚われない生き方をするという事です。
そのためには、結果ではなく、「過程」に目を向ければいいと思います。

3、終わりがある事に感謝する

もし、死ぬ事がなかったらどう思いますか?
何をしますか?
どう生きますか?
死なないという事は終わりが無いという事です。
人間は「期限」があるから行動しやすくなります。
今日やらなくてもいい事は明日やる事にしてしまうのが人間です。
一生いきていられるのであれば、明日やらなくても気が向いた時まで先延ばしにします。
1度きりの有限の人生だから、いつまでに何をするかを決めることができるのです。
体が不自由な人生だったとしても、1度切りの人生です。その命が尽きるときまで精一杯生きようとするから
人生を味わう事ができるのです。

4、今日を最高の日にする

生と死は表裏一体です。
生きているから死がある。
だとしたら、その生の時間を最大にするのが死ぬ時の価値を最大にする事と同じです。
あれをやっておけば良かったという後悔も減ります。
やっておけば良かったという「後悔」とやりたかったという「未練」は違います。
それならば「未練」のほうがまだいいです。
なぜなら、未練には意思があるからです。やろうとしたけどタイミングや時間が合わなくてできなかった事です。
しかし、やっておけば良かったという「後悔」はやらないと決めた結果です。
先延ばしにした結果だからです。
それは終わりを意識できていなかったからかもしれません。
今日、悔いのない選択をする事が死と向き合う事につながると私は考えています。

【死について考える時】

死について考える時、それは誰かが亡くなった時です。
家族や親友、会社の同僚、有名人の死は我々に死と向き合うきっかけを与えてくれます。
故人の人生を振り返り、悲しむ事になります。
私は、死んだ人の分まで生きなくてはとは思いません。
親や家族が与えてくれた人生を最大限に楽しみ、社会に貢献する事が亡くなっていった方々に対して
できる事だと私は思います。
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